大木久光の資源環境ひとりごと


第12回:資源とは?

 第11回の都市鉱山まで、資源を金属資源に限定してつぶやいてきました。しかし、資源とは金属資源に限りません。もちろん、石炭もある、石油もあるとおっしゃるでしょうが、ここからあとはもっと広い意味の「資源」について、つぶやきたいと思います。
広義の「資源」は、物的資源、抽象的資源及び人的資源に分類できると思います。
 ● 物的資源
   各種天然資源、水資源、食料資源が物的資源に含まれます。
 ● 抽象的資源
   教育、文化、芸術など、
 ● 人的資源

1. 物的資源
 各種天然資源、水資源、食料資源などが該当します。各種天然資源について、特に金属資源についてこれまでにつぶやいてきました。
 水資源や食料資源などについては、第14回以降につぶやくつもりです。
2. 抽象的資源
 教育、文化、芸術などを意味します。すでに、漫画が「Manga」として世界の若者に浸透しつつあります。今度、日本食をUNESCOの無形文化遺産に申請すると言う動きが進んでいます。
 これら、教育、文化、芸術などは次に触れる「ひと」と大いに関係があります。
3. 「ひと」
 従来、人材と言っていましたが、「人材」と言うと、人をモノ扱いしていると思われます。いわゆる、効率追求と経済性から出てきた考え方で材料扱いだと思います。
 過労死や残業時間規制の話が出てくるのもこうした見方を払拭できないのではないでしょうか?
 そこで、「人」とは言わず「ひと」と表現して、人材である「人」とは区別して話を進めたいと思います。
「ひと」には、独自の信念があり、素養があり、第2項で説明したような文化的背景を持ちしかもそれを大事にし、日本人としての依って立つ基盤(英語のIdentityに近い)があり、自分の在り方に自信と尊厳を持ち、矜持を持って周りの人達、特に外国人に対して良い影響を与える力を持つ人間と定義したいと思います。
 「そんな神様のような素晴らしい「ひと」がそうざらにはいるものじゃない」とおっしゃりたいでしょうが、そのような理想に向かって切磋琢磨する「人」も「ひと」に含めてよいと思います。
 これまで、日本は原材料を輸入し、製品化して付加価値をつけて輸出する加工貿易(IT時代にはそぐわない古い言葉ですが)で大きくなってきました。その過程で多くの技術革新を成し、常に世界の先頭を走ってきたわけですが、日本と他国と言う狭い視野でやってこられた今までとは違い、これからは地球規模で物事を考え対処してゆかなければなりません。

 「1.物的資源」の項でつぶやきましたように、天然資源はもとより水資源についても無限に利用できるものではありません。わずかに食料資源は、再生が可能ですが増え続ける人口とのバランスの問題が行く先に横たわっています。
 従来のやり方を無思慮に継続してゆくと、日本と言う国は無い方が世界のために良いことだと思われかねません。すでに、一部の国の人たちの中には陰でそう言っているとも聞きます。
 日本が厄介な国にならないためにはどうしたらよいかを真剣に考え始める必要があると思います。
その根底には、日本は世界にとってなくてはならない国となるべきでしょう。それは「ひと」も国だと考えます。
 つまり、「矜持」を持った「ひと」が文化やあり方(思想)を輸出する(広める)国となることでしょう。
もちろん、従来の加工貿易をやめてしまうわけではなく、研究開発や技術革新も並行して進めると同時に、徐々に日本の存在が重要であることを認識してもらうようになっていくようにするということです。
 その一つが、教育だと思います。
 今、大学が民営化されています。民営化とは、運営資金を自分で手当てしなければならない(要するに利益を上げられるように稼がなければならない)と言うことです。
 これでは、地道な基礎研究がおろそかになります。今のような大学の在り方では、将来、ノーベル賞受賞者が日本からは出なくなるでしょう。昨年までのノーベル賞受賞者も対象の研究は昔の民営化前に研究されたもので、民営化された後の研究成果ではありません。基礎研究をおろそかにしては、日本は底の浅い加工貿易でやりくりする金満国となります。
 旧国立大学は国立大学に戻すべきです。
ただし、現在の受験制度は大幅に変更する必要があります。その方法の一例を下記に示します。
 (1) センター試験で一定の点数を達成した受験生にはすべての大学の受験が可能となる(大学・科別の点数制をやめる)ようにすること
 (2) 試験科目は全員共通(文科系、理科系、医療関係、農業関係などの区別はなくす)とし、歴史(日本史、世界史と分けずに日本と世界とを関係付ける)、数学、理科(物理、化学、生物、地学)、日本語、英語(日本文化を英語で表現させるなど)、倫理、哲学全般にわたり極力論文形式の答案を求めるようにする。
 (3) ただし、試験問題はあまり難しくしない(重箱の隅をほじくるような問題は避ける)。問題が簡単でも、分野が広いことと論文形式を求めれば個人差が出ると思われます。
 (4) 採点側にもそれなりの広い知識が要求され、教授側の意識の高まりも期待できます。
 (5) 大学は受験性の希望を極力受け入れる(点数による足切を行うと再び大学間格差が発生するのでセンター試験は合否だけとして点数は求めないようにする)。
 (6) 大学では、卒業までに修得する単位に多くの論文課題を科し、遊んでいては卒業できない仕組みとする。教授もしっかり勉強し切磋琢磨が必要となるようにする。

以上、フランスのバカロレア制度が参考になります。
 教育と同時に大事なことは、自分の考えと信念を持ちしかも日本文化を認識する「ひと」を育てることで、教育とも関連しますが、社会全体の雰囲気(風潮)も大事です。
 そのためには、報道(メディア)にも大いに協力してもらう必要があります。もちろん、メディアも会社であり、利益を上げるためには一部の事件を興味本位で報道することもやむを得ないかもしれませんが、報道(メディア)関係の記者、編集者、幹部の方々にも矜持を持ってもらい、信念に基づく報道をお願いしたいところです。最近のNHKの番組を見ていると民放となんら変わらない娯楽番組が増えていたように感じられます。もちろん多くの優れたドキュメンタリー番組もありますが、NHKには視聴料を聴取しているという認識を強く持って、いたずらに視聴率にこだわらず視聴者のためになる報道を心掛けていただき、視聴料を進んで払いたくなるような番組制作に励んでいただきたいと考えます。

 「ひと」の話からそれたように見えますが、メディア関係に限らず、最近、おれおれ詐欺やうその話で出資を募るなど会社ぐるみでヒトをだまして儲けたり、産地や消費期限の表示を偽るような姑息な方法で儲けようとしたり、息のかかった製作者の作品を質(出来栄え)には関係なく優先させて展示させたりする事件が多発しています。倫理の問題と言えばそれまでですが、社会の風潮がさせている恐れもあります。つまりは「ひと」の在り方の問題だと思います。

 ルース・ベネディクトが戦後「菊と刀」で、日本人は恥の文化に基づいていると書きましたが、ちょっと違うと思います。むしろ、司馬遼太郎が言う、「美意識」に近いと思います。
 本来、日本人は欧米型の契約主義、法定主義とは異なる生活をしてきました。契約や法律に基づく社会生活では、契約に記載されていないことや法律に決められていないことなら何をやっても許されると言う考えも出てきます。つまり、自分最優先で「カネ」のことなら何でもやるという風潮が蔓延しています。
 一昨年の東北地方の大震災後の被災者の方々の実に立派な行動が、世界に大ショックを与えたことが皆さんの記憶にも強く印象付けられていると思います。
 これからの、子、孫を育てて行くためには我々がもっとしっかり「自分」を持ち、情報過多の世界で、何が事実で、その事実の裏には何があるかをしっかり見抜く力をつけ、思いやりを持って住みよい世界を形作るように生きて行く必要があると思います。

 第13回で、石油、石炭を含む「エネルギー」についてつぶやきます。シェールガスやメタンハイドレートにも言及します。
 次いで、第14回では、私たちの命に係わる「水資源」についてつぶやきます。そして、第15回では、生命の存続にかかわる「食料」について主として食料と水との関係、バイオマスなどについてつぶやきたいと思っています。そして、第16回で「資源ナショナリズム」に触れたいと思います。

<過去のコラム>
 → 第1回 「資源と放射能」
 → 第2回 「オーロラを追って(第1部)」
 → 第3回 「オーロラを追って(第2部)」
 → 第4回 「地震雲
 → 第 5回 「資源開発(探査)
 → 第 6回 「資源開発(採鉱)
 → 第 7回 「資源開発(選鉱)
 → 第 8回 「資源開発(製錬)
 → 第 9回 「貴金属
 → 第10回「レア・アースと放射能
 → 第10回-2「トリウム溶融塩原子炉
 → 番外編 「オーロラを追って(その3)
 → 第11回 「都市鉱山(アーバン・マイン)














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